コーチどらごんのつぶやき

2020年04月

既に僕と関わった皆さんの認識では、

青木コーチ=情報皆無。謎に満ちたコーチ

となっているのではないでしょうか。

従って、少し自己紹介を。

1978年5/20生まれ、血液O型。

そして、出身が岐阜県の各務原市という見たことも、聞いたこともない地名から来ました。

もちろん茨城県に来た時は、親戚も知人も全くいません。

そもそも、縁もゆかりもない岐阜県民がなぜ水戸にいるの?

ここから謎が深まります。

よって、長くなりますが、ここに来た経緯からお話ししたいと思います。

生まれも育ちも岐阜県各務原市(呼び方はカカミガハラシ)であり、高校も各務原高校と純粋な各務原市民です。

小学生5年からサッカーを始め、中学時代からずっと海外でサッカーしたいと思い、高校時代はスペイン留学に向け新聞配達もしました。

高校卒業後は、親を口説き倒し、変わり者扱いされながらも、周囲の反対を押し切りスペインに渡航。

しかし夢見たプロを目指して4年間頑張るも挫折。

その後、留学会社(現ユーロプラスインターナショナル)を仲間と立ち上げ、2014年に退社して日本に戻りました。

さて、なぜ水戸に来たのかは、正直、日本国内で、日本人にサッカーを指導できれば、どこでも良かったというのが率直な想いです。

スペインに行ったのも、世界で一番強い国に挑戦したかっただけであります。

そして、自分が越えられなかった壁でも、日本人は絶対にスペイン人を超える事ができると思い、日本で指導する決意をしました。

茨城県に来て早7年目。

こうして皆さんと出会う事ができたのは、奇跡であり、強い縁を感じます。
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みなさんこんにちは。

いつもサポート頂き、ありがとうございます!

クラブのブログでは、なかなか個人的な意見等がお伝えし難い部分もあり、特別に個別ブログを開設させて頂きました。

また、普段、口下手なわたくしは、皆さんとお話ししたくても、気を遣ってしまう理由もあり、個別でブログを立ち上げることで、青木コーチって、実はこんな感じの人なんだと知ってもらえたらと思います。

それは、良い部分だけを伝えるのではなく、えっ?そんな人だったの。

と、人によっては引かれるかもしれないけど、それが自分の生き様であり、そんな自分を好きだと言ってくれる人もいるから、余すとこなく伝えていけたらと思います。

そして選手のみなさんにも、青木コーチはこんな風に絡めばいいのか。

と、自分という生き物の扱い方、いわゆる取り扱い説明書みたいな感じで理解してもらえると嬉しいです。

そして、自分が見てきた、聞いてきた、経験したことを、ブログを通じて少しでもお伝えできたらと思います。

そういうわけで、ちょくちょく更新していくので、暇な時にチラ見してください。




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